やっとかなった…故梶本氏殿堂入り

今年の野球殿堂入りを決める野球体育博物館の競技者、特別両表彰委員会は12日、競技者表彰として元阪急(現オリックス)投手で通算254勝を挙げた故梶本隆夫氏(元本紙評論家)、特別表彰として84年ロサンゼルス五輪で金メダルを獲得した野球日本代表の監督を務めた松永怜一氏(75)の殿堂入りを発表した。殿堂入りは計161人。表彰式は7月20日のオールスター第1戦(東京ドーム)で行われる。

 昨年9月に永眠した梶本氏に、ようやく殿堂入りの名誉が届けられた。阪急の低迷期を支え、通算254勝を挙げた快速球左腕。ゲストスピーチに立った400勝投手・金田正一氏が「せめて命あるうちに選ばれれば」と惜しんだように、その輝かしい実績を思えば、やはり遅すぎた選出が大いに悔やまれる。

 通算867試合登板は歴代3位、2945奪三振は歴代6位だ。57年の9連続奪三振は日本記録。シーズン20勝を4度マークしながらタイトルに恵まれず、通算200勝以上の投手で唯一、負け越し(255敗)。「無冠」「悲運」という形容詞で語られる梶本氏だが、本人の人柄はそうしたイメージと無縁だ。

 大らかで誰からも愛される性格。後輩たちからは「兄貴」と慕われ、ここ数年は優しい「おじいちゃん」でもあった。殿堂入りの連絡が入った日。妻・享子さんの元に孫の小学6年生・将人君から、「じいじいへ」と題した祝福の手紙がFAXで届いた。

 文面には野球のテレビゲームで、3歳のころに初めてキャッチボールを教わった、あこがれの「じいじい」をエースとするオリジナルチームが連戦連勝していると記されていた。そして最後には「一緒にお祝いできなくて残念です」。読み終えた享子さんは涙が止まらなかったという。

 昨年、梶本氏は当選票数に12票足りずに殿堂入りを逃した。当時は悔やむ様子もなかったというが、亡くなる一週間前に病床でポツリとこう漏らした。「今年はヤマ(山田久志)やな」。殿堂入りで先を越された後輩をうらやましく思ったのか、それとも「来年こそ」の思いがどこかにあったのか-。今となっては、その答えは故人にしか分からない。

 もっと早い段階で殿堂入りしていて、当然の大投手だ。それでも「幸せな野球人生だったと思います」と享子夫人。遅まきながら届いた勲章。梶本氏は天国で、穏やかな笑みを浮かべてじっくりと、かみしめているに違いない。

デイリースポーツ - 2007年1月12日